私はこれまで日本・中国と様々な先生方に養生について教えられてきました。
中国の中医を専門としている先生方の他に、道教の道士・日本の仏教のお坊さん・神教の先生方とも養生について話す機会があり、古来からある宗教は中医養生と言っていることが繋がっていることが段々分かってきました。
しかも、中医・仏教・神教の先生方ともに共通して言っている事がありました。
病を遠ざけるには「自分自身の心を調整することが大事だ」ということと、常に「心を無にするしかない」と教わってました。
先生方曰く「心を無にする」というのは病を遠ざけて生きるには非常に大事なことの様で、この領域に行かないと宗教の世界では一人前とは言えないようです。
仏教では人扱いもしてくれない、とも教えられました。
私自身、無の領域というのは今の段階の私にとって非常に難しい事で理解に苦しんでいる昨今です。
「無になるってどういうこと?」と疑問に思った方もいると思いますが、今の私にはまだ分からなくて説明が出来ないです。(すいません…)
しかし、養生に通じるものがあるので黄帝内経の言葉から病を遠ざける心の在り方を今回は見ていこうと思います。
雑念を無くして心穏やかに
先生方の言っていた「無」というのはどうも心を静かにすることと通じるものがあるようです。
仏教のお坊さんに教えられたことですが、心は湖に例えられます。
湖が静かで波立っていなければ、景色が綺麗に水表面に写し出されます。
しかし、波立っていると騒がしい状態となり、景色は歪んで水表面には綺麗に写し出されなくなります。
湖が静かな状態は心が穏やかな時、湖が波立っている状態は心が騒がしい時です。
この波紋が起こらない状態が「無」であり、周囲の状況がはっきりと理解できます。
波紋は人の煩悩・雑念によって作られることになります。
波立っている時は心が煩悩・雑念に反応してしまって騒がしい状態を表しています。
黄帝内経・素問の冒頭では心の在り方について以下のように書かれています。
心を静かにして、むやみやたらな欲望をおこさなければ、生の泉である真気はその人の体内を隅なく巡り、身体を正しく運営することができます。このようにして、五臓の精気であり、生命活動の根本である心の神気と腎の精気とが、充実してゆるぐことなく、体内をがっちりと防衛しておりますならば、病を起こさせる外邪など、どうして侵入することができましょうか?
小曽戸丈夫 新釈「素問」より引用
つまり、病の元となる「邪」を身体に侵入させないためには心が反応しないように欲望・雑念を無くすことが大事だということです。
日常生活で起こったことをあれこれ考えるのではなく、心を静かにすることが「邪」から身を守る方法です。
それを心掛けると身体の気・血・水の流れが良好となり、五臓六腑の働きも良くなり、気も充実して身体をしっかり守ってくれるのです。
中医でいう身体が強いとはこのような状態を言い、病気の元となる「邪」は身体に入ってこれないと言われています。
修行者の世界と共通するものがあるようで、苦労して精神レベルを上げないと欲望・雑念を「無」にする、心をコントロールできる領域に入るのは難しそうですよね。
なので、欲望・雑念に反応しない為には、ある程度の精神レベルが求められるようです。
怒り・陰口は健康を害する
何かと人間関係に揉まれる私たちは常に何かに悩み、考え事をしている方もいると思います。
中でも不満は養生では厄介なものとして括られています。
中医では日常生活であれこれ不満を抱えている人というのは心の養生ができていない人、となかなか厳しいことを言っています。
例えば、自分の不満を発散してくる、クレーム・文句を言ってくる人を挙げてみます。
その様子を見ているだけでも気持ち良い気がしないばかりか、こちらの気を害してきます。
このような心持の人が健康になれるか、というとそうではないようです。
中医ではこのような方は心神の状態を調整できない人で、臓腑機能が正常でない、経絡の気の流れに異常をきたしている、と判断されます。
また、クレーム・文句は不満が怒りとして表現されている行為です。
仏教も怒りに関しては厳しく律していて、怒りの炎はやがて自分の心と身体を燃やして蝕む、と厳しく律しています。
私も非常に怒りやすい性格の1人ですが、怒りの感情を抱いて良いことは全くと言っていいほどなかったです。
むしろ怒りを表に出すことは多くのエネルギーを消費する行為です。
怒っている人は、怒っている時は強い攻撃的なエネルギーを発していますが、怒りが去ると疲労が襲ってくるのが特徴です。
こんな気の使い方をして、健康でいられるわけがありません。
また、不満の表現として陰で悪口で言っている人も健康にはなれないと言われています。
人が吐く悪口は「毒」の気が含まれています。
よく師に言われてきた言葉があります。
「人を治す仕事なのだから、悪い気は浴びないこと。陰口・悪口は頭の中に留めないで流すこと。でないと毒を身体の中に溜めることになる。」
悪口は「毒」なので、常日頃悪口・陰口を言っている人は自分の言った悪口を自分で吸っていることになるので体中「毒」が溜まっていることになります。
これでは気の流れは不良となり、自分の中に流れている気も「毒」なので健康とは言えないのです。
不満を溜めないコツ
このように常日頃、不満を心に抱えているとロクなことはありません。
不満をクレーム・文句、陰口・悪口で人に迷惑をかける発散方法をしていると、やがて自分の身体は健康ではなくなります。
では、根本原因の不満を心に溜めないようにするためにはどうしたら良いか?
不満を溜めないコツとして道教にはこのように書かれています。
『欲望を少なくすること、少しの事で満足できるようにすること』
今は情報が溢れている時代です。
自分で情報を取捨選択しないと欲望のスイッチが入ってしまうこともザラです。
道教では『刺激を浴びすぎると心は混乱する』とも言われています。
現在は情報に左右されず今に集中して生きることが心を安泰にする秘訣なのかもしれません。
また、黄帝内経にはこのようなエピソードがあります。
黄帝が仙人に「老いずに長生きができる生き方とは何か?」と質問をしたエピソードがあります。
仙人はこのように答えたそうです。
「見るべきではないことは見ない。聞くべきではないことは聞かない。考えるべきではないことは考えない。このようにして心を静かにしていることが秘訣。」
いかに情報を選択して、「今」の自分を生きるのが大事かを考えさせられる言葉です。
この言葉を聞いて日光東照宮の三猿を思い浮かべました。
『見ざる、言わざる、聞かざる』
この三猿の意味も中国古典の考え方から来ているようで、
このことわざの意味は
「自分の都合に悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないのが良い」という意味です。
悪しきことを遠ざけることわざで、英語に訳すとこうなります。
「see no evil, hear no evil, speak no evil」
evilは日本語に訳すと、悪・邪悪・不吉という意味ですね。
三猿の意味・由来の起源は分かっていないようですが、中医養生でいう「邪」「毒」を遠ざけて病にならない生き方にも通じているような気がします。