病院勤務時代のことですが、私はリハビリテーションの仕事で回復期~維持期の患者さんを担当させていただいていました。
だいたい1人の患者さんに3か月~6ヶ月の期間をかけてリハビリテーションをするのですが、担当した患者さんが多くなるにつれて、あることに気づきました。
同じ病名・症状でも比較的短期間で回復して自宅に戻る方と入院当初から症状が維持されたまま変わらない人、精神的に病んでリハビリテーションを続けられないで症状悪化で転院する人がいる、ということでした。
リハビリ職で働いている人からすれば患者さんの1人1人回復ペースが異なるのは当たり前のことですが、この当時上司から在宅復帰率を上げるように指示があり、与えられた期間内で患者さんを回復してもらうことに躍起になっていました。
しかし、上記のように個人差がどうしてもあるのです。
そしてこれは私の中で疑問になりました。
中医は同じ病名・症状でも証が異なると中医薬・経絡の治療方針が違ったものとなります。
師の老中医師の傍らで様々な患者さんの経過を見せていただきましたが、中医でも早く治る人と、時間をがかかるけれども治る人、治るけれども症状をぶり返して再診に来る人がいたのです。
よく“病は気から”と言われますが、じゃあ気合があれば完全に治るのか、というとそうでもないようで…。
私のこの疑問に古代に書かれた黄帝内経には具体的な説明がされていました。
さすが昔の王様、黄帝。
結論から言うと、早く治る人は心の在り方、精神レベルといったことが関わっているようです。
そしてあるレベルまで達すると天がその人に気を与える、と黄帝内経では言われています。
今回は黄帝内経の内容解説ですが道教や仏教にも通ずる内容となっています。
養生を獲得している道術者
どうやら私たちはこの世に魂の向上を目指して修行している存在のようです。
古い養生の文献には凡人でも修行の境地に至れば養生を獲得し人生の最高の境地に達することができる、と説いています。
この境地とは、天が与える気が普通の人よりも度が過ぎていて、年老いても経脈の気が若い人のように滑らかに流通し、腎気にゆとりもある状態です。
年老いてもエネルギッシュで心も体も若々しい人が該当するかと思います。
それとは正反対に自分の心と身体の状態を理解できずに、日ごろの疲れが取れない、体調・心のバランスを崩してしまうという段階を自分で自分の修養ができないレベルとして、“凡”と黄帝内経では表現されています。
若い時は無茶をしても腎気旺盛なのでなんとかなりますが、年齢を重ねるごとに自分の心を調整し、活動と休養のバランスが取れないと体調不良になりがちですよね。
自分の修養とはこのような自分の調整のことです。
俗に病気に、風邪にならない人を黄帝内経では“道術者”と表現しています。
“道術者”の細かい説明には“仙人”という表現が使われているので道教で言う道(タオ)に至った人、仏教だと無の境地に至った人、と理解していただければ良いと思います。
ここまでに至る段階は黄帝内経には4段階ある、と説いています。
次の章でこの4段階について見ていきましょう。
4種類の道術者
1,真人
真人は天地の大道を把握して、陰陽の法則にのっとり、宇宙の精気を呼吸して、他の何者にもわずらわされずに、生命力を保持し、心身ともに天地の運行にとけこんだ状態となってしまうから、その寿命は天地と同じ無竅である。これこそ天地の大道とともに生存しているのである。
新釈 小曽戸丈夫 「素問」より引用
真人は上古の時代(すんごく古代)の道術者で、この真人の生き方が道教で言う“仙人”の生き方となります。
上の説明だと具体性に欠けますが、陰陽五行の変化を読み取り、変化に応じて呼吸を調整し清気(キレイな気)を身体に溜めるようにしています。
また、孤独で身体を鍛えて身体が自然界に適応するように自分で調整をしているようです。
山奥に1人で生きる“仙人”の生き方のようですが、修験者、徳の高いお坊さんもこのような境地に至っている方が過去にいらっしゃいます。
正に道を極めし者の境地ですね。
中国ではこのような生き方をしている人が現代でも山奥に住んでいる、と伝えられています。
2,至人
至人は徳が厚く天地の大道にかない、陰陽の法則にのっとり春夏秋冬の天の運行に調和していた。そして世俗を離れ去って、深山にいて宇宙の精気を吸いたくわえ、生命力を完全に保有し、宇宙の間を思いのままに遊行して、この世のすみずみまで見聞することができる程であったという。思うに彼等は修養によって天与の寿命を引き伸ばし、生命力を益したものであろう。
新釈 小曽戸丈夫 「素問」より引用
至人は中古の時代の道術者の生き方で、至人は真人、仙人の部類に属します。
説明からも真人と同様、道を極めし者で俗世間を離れた生き方をしています。
黄帝内経の解説書では至人の生き方は陰陽の自然の変化四季の変化を察して自分の心と身体を調整すること強調されています。
自然界の中で調和することで、視覚・聴覚など感覚を研ぎ澄まされ、世の中を見聞することができたのではないかと、解釈しています。
ここまでは現代に「こんな人いないでしょ!?」というレベルの方々ですね。仙人ですし…。
次からは現代でも頑張って探せばいそうな道術者の生き方です。
3,聖人
聖人は春夏秋冬、昼夜の天地の運行に調和して、各季節に吹きくる正邪の理を弁え、邪風にあたることがなかった。欲望は世間並におさえ、心を静かにして怒りをおさえ、その行動も世を捨てることなく、凡人共とも付き合い、人並に衣服や冠をつけてもその行動は俗に流されることはない。肉体的に過労になることをつつしみ、精神的には喜怒哀楽に心を翻弄されることなく、アッサリとした楽しみに満足し、決して何事も無理しない。このような生活態度であったから、肉体も精神も温存されて百歳以上の寿命を享受できたのである。
新釈 小曽戸丈夫 「素問」より引用
聖人も四季、昼夜の陰陽の変化を理解して調整をしているようですが、真人・至人との違いは世俗社会の中で生活している人です。
エネルギーを大量に消耗する怒りの感情を出すことなく、心を静かにして暮らしています。
一見、欲が無さそうに見えますが、ちょっとしたことで満足感を得られて幸せを感じることが出来る方です。
このような方は俗世間では目立たずに生活をしていますが、穏やかで人に安心感を与えることができるのです。
そのため、人も自然とその人の周りに集まってきます。
あなたの身近にもいませんか?
こういった方は自分の感情を上手く調整する能力に優れていて長生きする傾向にあるようです。
私は何か1つのことを極めると、この領域に達しやすくなる、と仏教のお坊さんから教えられてきました。
4,賢人
春夏秋冬の天地の運行にのっとり、天文歴数を心得て、その陰陽変化に生活態度を調和させ、四時の正・邪の風を区別して邪気に中てられぬよう注意し、上古の真人をまねて養生の道を修得するのである。これらの人々もまた、寿命を延ばすことができる。
新釈 小曽戸丈夫 「素問」より引用
賢人も四季に柔軟に適応した生き方をしています。
その時その時の養生を意識した生き方、といったところでしょうか。
「素問」の説明は短いですが、四季と自分の変化に応じて養生し、生活習慣がしっかりした人と私は解釈しています。
また、黄帝内経には賢人は真人のように、仙人として天地とともに無竅に生きるわけにはゆかない、とも説明されています。
私達現代人は俗世間に馴染んでしまっているので、山に一人で仙人のような生き方はできないですよね。
なので養生を意識して生きるだけでも病気に強くなる、邪を避けることが出来る、長生きができる、ということを言っているのだと思います。
まとめ
病気・風邪にならない人道術者の4つの生き方を紹介させていただきました。
私たちは山奥で1人で暮らす仙人にはなれませんが、道術者共通しているのは陰陽の変化を察知し、それに合わせた生き方をしている、ということです。
環境の変化を敏感に察して柔軟な対応ができる方が当てはまるのではないかと思います。
私は日本では“養生”という言葉を全く聞きませんでしたが、中国広州では現地の方々が“養生”を非常に大事にしていて四季に合わせた衣服・食事・生活習慣を教えていただいていました。
思えば病院勤務時代に回復が早かった患者さんたちは、会社の経営者、国家公務員、といった立派な職業を経験してきた方々で生活習慣がしっかりしていて、問題解決能力が物凄く速い人たちでした。
病気の症状を把握した上で柔軟な対応と、もっとこうしたリハビリをしてほしい、と要求もしてくれる方で病人にも関わらず物凄くエネルギッシュな方々でした。
そして余計な雑念を入れず、自分が回復することに一直線だったのです。
彼らは見事に病気に打ち勝って、障害を抱えながらも今日も生活されていると思います。
今思うと、きっと様々な人生の壁をクリアして境地に至った方で陰陽の変化、正・邪も察する感覚を持ち得た方々だったのではないかと思っています。
よく“ピンチはチャンス”ともいいますが、人生の壁・修羅場といった問題を解決していくということは人を成長させることであり、邪に病に打ち勝つ精神力をつける鍛錬なのかもしれません。
その鍛錬には身体と心の健康は必須であり、人生の壁をたくさんクリアしている人ほど自分の体調管理をしっかりする習慣が身についているように感じます。
参考文献:
新釈 小曽戸丈夫 「素問」