陰陽五行の概念は古代中国で誕生したものです。
殷・周の時代の中国人がこの世界は陰陽の二つに分かれている、という発想が起源です。
その由来は古代中国人が長い期間、直接この世界の自然現象を観察してきた集大成により生まれたと言われています。
昔は今のように娯楽が無かったので、古代人は徹底的に自然界を観察した上で陰陽五行の理論を形成していったのです。
今回紹介する内容は中国の中医学基礎の教科書の冒頭部分に記載されている内容のものです。
日本の教科書では大半省かれている陰陽五行のルーツの説明となります。
私は何かとルーツを知ることが好きなので、この場でご紹介をさせていただきます。
陰陽五行は自然現象の観察から生まれた
前述の通り陰陽の概念は、まず自然現象の観察から生まれました。
空の動き、太陽・月の動きの観察から始まりました。
古代人は太陽・月の動きを昼夜観察して朝に太陽が昇る、大地に光が射す、夕方になって西に日が傾く、月が出る、大地が暗くなり、静寂に包まれるといった観察を1つ1つしていったのです。
ここから自然界と人の生活リズムができてきたのです。
日中は働く・日が落ちたら休むというリズムが陰陽思想の概念として生活習慣に身についていったのです。
ちなみに太陽の光が当たる山の南は陽、太陽が当たらない山の北は陰という具合に、太陽の当たる時間帯も観察記録として陰陽五行の古文書には書かれています。
自然界の現象から陰陽五行が生まれて規則・習慣となってくると、今度は周囲の事柄を分析して陰陽五行に当てはめるようになりました。
昼夜・寒温・雄雌・男女といったように対立する2つのものがこの世には存在しており、これは宇宙の規則にも繋がり自然現象にも通じるという概念・考え方に発展していきました。
人の身体もこのような概念から陰陽五行が五臓六腑・情志・食べ物の性味まで分析され、発展することで中医学という理論が確立したのだと思います。
自然界の全ての現象・事物は全て陰陽の対立で生じる
この世は対立する2つも事物で成り立っているという発想から発展して、それぞれ陰陽に属する事物2つは対立して動いているという理論が生まれました。
陰陽の現象の表現としては天気が雨で太陽の光が出てこないのを陽の時間だけど陰の力が勝るといった感じで表現されるようになりました。
このような天気の観察から気の概念が形成され、万物は気で構成され気は陰陽に分かれ天の気は陽、地の気は陰と分類されました。
この気の概念については黄帝内経《素問》にも詳しく説明がされています。
余談ではありますが物理学や化学でも陰(-)・陽(+)と物質が分かれていますね。
根底には物が持っている気のプラス・マイナスの陰陽が関わっているのではないかと思っています。
陰陽の属性について
陰陽の属性については以下のような分類がされています。
このように事物を詳しく陰陽の2つに分析されて哲学的な概念が形成されました。
一般的に
- 運動性・外向性・上昇性・興奮性のものを陽
- 静止性・内守性・下降性・抑制的なものを陰
に分かれています。
陰陽の2つは自然界でお互い対立しながら変化しあっていています。
天気が変化して晴れたり、雨が降ったり、
自然が陰陽対立で四季を生み出したり、1日を作り出したり、
このような現象も陰陽が絶え間なく動いて対立することで生じています。
別の易の説明を中心とした中医学基礎の本では、陰陽の闘争によって自然現象が作り出されている、と“闘争”を強調されて書かれてありました。
人の身体は、自然現象の規則の影響を受けながら身体が成り立っています。
私たちの身体も陰陽のバランスを保つことで健康でいられます。
しかし、ひとたび身体に邪が侵入しようとすると正気と邪気の闘争が始まりますね。
それと同じように陰陽がバランスよく、お互いを抑制しあいながら中和を保つ動きが私たちの中にも生じていることになります。
身体の気血に関しては気は推動的であり陽に属し、血液は滋潤性なので陰に属しています。
陰である血液は陽である気の推動作用に依存して身体を巡っています。
そのため、気滞が生じてしまうと瘀血にも発展してしまうのです。
まとめ
このように陰陽の属性・動きは地球の万物を形成する基礎であり、私達も陰陽の規則により生きています。
天気の動きは、自然界が陰陽のバランスを保つ動きでもあります。
陰陽のバランスを保つ動きには晴れて穏やかな時もありますが、雨もあり、嵐もあります。
決して一定ではありません。
天気ですら陰陽のバランスを保つために時に荒れることもあるので、人が心・身体において一定の状態を保つなんて非常に大変なことなのかもしれません。
道教では「この世は混沌から生まれているため、安定しないもの。危うさを生きよ」と言っています。
この背景には世界は陰陽の対立で成り立っていることを言っているのでは?と思っています。
陰陽の“闘争”という表現もありますし、生きて人と関わる以上闘争を避けられない場面もあります。
これも自然の摂理の1つなのかもしれませんね。
もしかしたらゲーム感覚でこの世界の混沌・どうなるか分からない不安定さを楽しめる人が人生を楽しく生きられるのかもしれません。
参考文献:严灿 著 「明明白白 学中医① 医道医理篇」