中医解説

老子を読む

私が中医学を通してお客さんを施術する、また中医学を語る上で基盤として大事にしていることがあります。

それは古代東洋哲学の「老子の言葉」です。

老子は道教の創始者で道教の根本的な教えを諭しています。

老子

中医の勉強を深めていくと中医学自体が古代中国の宗教思想である道教からきていて、自然界・身体の整体観念の根底理論には道教が関わっていると感じさせられます。

もちろん、中医学の中国語で書かれた古文書を読み解くには道教の理論を知っておくことは必須となります。

私が印象的だったのは、従事させていただいた李老中医師・趙教授ともに道教の易の本を必ず診察室の本棚に置かれていて、時間があると二人ともパラパラと本を読んでいたことです。

2人の師からは、「中国のトップレベルにいる中医師達は古代宗教の考え方・思想を基盤に置いて中医治療に当たっている。」と教えられてきました。

李医師は仏教、趙教授は道教でしたが、二人とも人の観察眼が逸脱して凄い方々でした。

診察する患者さん本人が自分自身を理解するよりも、患者さんのことを見抜いているのです。

しかも、診察室で行う診察の短時間内で性格・気質・考え方の傾向・体調不良の原因・悩みを抱えているか・壁にぶつかっているか…などなど。

そこまで患者さんのことを見抜いて中医薬処方・経絡治療をしていました。

透視能力者!?とも思いましたが、2人とも共通して言っていたことは「古代からある宗教思想を大事にして患者さんを診てきたら自然と分かるようになっていた」と教えてくれました。

もちろん古代宗教を知れば、人を診る能力が逸脱するのか!?と若い自分は思いましたが、そうではないようで…。

2人の師からは古代宗教を理解することは「中医学で人を診る・助ける軸になる」と教わり、私は道教・仏教も中医学と合わせて学んでいる所です。

今回は、中医学の根底にある中国古代宗教・哲学の老子の一説を紹介したいと思います。

道 ~タオ Tao~

次の章で「老子の教え」の言葉を紹介していくのですが、「道 タオ」という表現が多く出てきます。

「道 タオ」とは天地が始まる以前から存在しているもので、

万物の根源であり、それを支える自然の原理であり、永遠不変の真理のようなもの」

と説明がされています。

万物、自然界と人の気の流れも「道 タオ」の原則で動くもの、と捉えていて、それに抗う生き方をしても良いことはないと語られています。

そんな抽象的な「道 タオ」ですが、もともと哲学思想でもありますので様々な解釈もあるかと思います。

そちらも踏まえた上で、あまり深く考えすにお読みください。

私は不安な時や心がこんがらがって整理できていない時に声に出して読むと、気持ちが楽になります。

老子の教え あるがままに生きる

ものごとは常に変化する。あなた自身もそうだ。

言葉に縛りつけられるな。言葉を縛りつけるな。

確かなものにすがろうとするから不安になる。あやうさを生きよ。

あやうい状態からこの豊かな世界が生まれた。

この世界にはもともと、善悪も優劣もない。

言葉で世界を切り分けようとするな。

支配者が頭を回さなければ、うまく治まる。

「道」とは、ものごとを成り立たせる不思議な力。

よく生きるのは、感性を豊かにすればよい。

自らの内なる声に従え。

神秘の力は世界を成り立たせ、尽きることがない。

ただただ生きればいい。最高の善は、水に似ている。

成果を挙げたら、身を退けよ。

身体と精神を調和させよ。

わかったつもりにならない。

有と無は互いに支えあって用をなす。

感覚を刺激しすぎると魂は混乱する。

わが身を大切にすることがすべての始まり。

すべてのものごとは神秘の作動によって生じる。

見えない次元の真理に触れる。

世界をありのままに見る。

最も優れた統治が行われていると、下々の者は支配者の存在を知っているだけだ。

下らぬ学識は人間の自由を奪うだけだ。

道のあらわれは、かすかでぼんやりとしている。

無理をしてもうまくいかない。

曲がったものこそが完全となる。

聞いても聞こえない言葉を受け取る。

世界の根源から湧き出す力を「道」と呼ぶ。

大軍をひきいる君子が軽率ではいけない。

明らかな道理に従う。

自分の本質から離れないでいる。

聖人は極端なことを避ける。

成果を挙げても、強者とならない。

兵器は不吉な道具である。

道は本来、名付けることもできない。

自らに勝つ者は他人に勝つ者よりも強い。

大きなことを為さないから、大きなことを成せる。

道は使い尽くすことがない。

柔らかく弱いものが強いものに勝つ。

道に従えば、万物はありのままの姿を実現する。

徳にすぐれた人は、「自分に徳がある」という自覚がない。

貴いものは必ず賤しさを根本とする。

道にかなうことで、何事も善く始まり、善く成長する。

有は無から生じる。

減らすと増えて、増やすと減る。

無為は有益である。

ものごとをあまりにも愛おしむと、ひどく失うことになる。

ほんとうに完成したものは、どれだけ使っても壊れない。

足るを知れ。

どこへも行かずに天下を知る。

無為であれば、為しえないことなどない。

聖人は自分の存在を誰にも意識させない。

あくせくと動く者は自ら死地に赴くことになる。

道はおのずから尊い。

不変の真理を身にまとう。

大道をいく。

自分の身体を出発点として天下を知る。

無理に健康になろうとすると衰える。

ものごとを知るには、言葉に頼るな。

無為無事によって天下を取る。

災いは福、福は災い。

飾らなければ、人々は従う。

小手先でひねくり回すな。

大きいものは下に立つのがよい。

人はそれぞれの道に従う。

容易な事に難しいものとして対応する。

執着しなければ失わない。

民は智ではなく愚をもって治めよ。

争うことがない者には争い得るものはいない。

邦は小さく、民は少ないほうがよい。

天の道に従えば、利益を挙げても害をなさない。

大物は空気を読まない。

天とうまくやる。

嫌々ながら戦う者が勝つ。

私の言葉をわかる人はいない。

知らないということを知るのはすばらしい。

抑圧や暴力を捨てて、権力と威厳を得る。

天の網は、ゆったりしていて目が粗いというのに、何者をも見逃さない。

殺によって民を支配するなら、その惨渦は自分に降りかかってくる。

万民の治まらないのは、その上に立つ者が作為するがゆえである。

固くこわばったものは死の仲間、柔弱なものは生の仲間。

聖人は、その賢明さが現れることを欲しない。

まっすぐな言葉は、ねじくれているように聞こえる。

天道は常に善人とともにある。

引用文献:安富歩 著「老子の教え あるがままに生きる」

ABOUT ME
中医セラピスト・伊藤
中医セラピスト・伊藤
作業療法士として脳外科のリハビリテーションに携わった後、中国に渡り中西医結合医療現場にて渡航医療のリハビリテーションに携わってきました。この経験をきっかけに中医科に興味を持ち、 広州市の邦里国際医療団に所属。中医師助手として老中医師から中医基礎・臨床を教わってきました。 5年間中国で経験を積ませてもらい、現在は栃木県宇都宮市で中医関連の仕事をしています。 本場中国で教わってきた脈診、陰陽五行理論を使った経絡治療を得意としています。 ブログは中国でお世話になった方々の支援を得ながら書かせていただいています。